投稿者: takasan_admin

  • NTT販売店 リメンバーハーバー株式会社(仮称) – ITバブルの片隅で-

    NTT販売店 リメンバーハーバー株式会社(仮称) – ITバブルの片隅で-

    プロローグ|近くて、遥かかなたの煌き

    あの頃、一緒に暮らしていた。

    驚くほど記憶力がよく、決めたことを淡々とやり遂げる人だった。

    気づけば、自分がどこかで諦めていたものを、当然のように手にしていくのを見ていた。

    それが誇らしくもあり、どこか、はるか遠くに感じることもあった。

    一緒にいる空気や、ふとした笑い声に救われる夜があった。

    同じくらい、目を逸らしたい感情も隣にあった気がする。

    あの頃の自分は、ただ何かを証明したくて必死だった。

    同時に、あの生活をどうにか守りたい気持ちもあった。

    たぶん、その焦りの延長に、あの会社があった。

    気づいたときには、もう引き返せない場所に立っていた。

    1章|夢の終わり、社宅の始まり

    司法を目指す。それが当時の俺にとって、至上命題だった。

    机の上には、ポケット六法と伊藤塾のテキストが開かれたまま。

    渋谷で最近オープンした定食屋のバイトは生活費と授業料のため。民法より家計簿。六法よりレシート。食費、光熱費、家賃。電卓を叩くたび、何かが遠ざかっていった。バイト先で、2、3歳下で一見大変快活で、驚くほど頭の回転が速く、そして恐ろしく記憶力がよい女性と出会った。しかし、たまに見せる黙ったときの表情は、どこか絶望にも似た表情をしていた。しばらくして、生活のため、一緒に暮らすことになった。多大な影響を与えてくれた一人であることは間違いないが、ここで述べることは差し控える。そして、安堵と引き換えに、静かに失っていくものがあった。

    テキストを開く手が止まる夜が増えた。目を閉じると、知らないうちに朝が来ていた。

    そんなとき、求人誌DUDAに、「社宅半額補助あり。正社員登用制度あり。営業職未経験可。未経験でも初月30万。」

    もう少しだけ、余裕がほしい。“まぁ、しばらくやってみるか”そんな軽さだった。だが、その一歩が、思っていたよりずっと深く、遠いところへ連れていくとは、そのときはまだ知らなかった。

    第2章|仏の

    面接は西新宿のビルの一室だった。

    ドアを開けると、受付の女性が迎えた。そして、少し遅れて奥の部屋から男が出てきた。

    スキンヘッドにメタルフレームの丸眼鏡。

    グレーのスーツで、一見、僧侶のような穏やかさを纏ったその男が、社長の無坂だった。

    「うちはね、君みたいな人を育てたいんだよ。」落ち着きのある声だった。

    面接を終え、採用の電話を受け、翌日から出社となった。

    入社初日、佐津が出迎えた。「仏の佐津」。社内でそう呼ばれていた。

    高身長で笑顔を絶やさず、声も柔らかい。バーコードの髪を気にする愛嬌があった。

    「営業ってのはね、型があるからさ。まずこれを覚えよっか。」

    「コンコン、失礼します。NTT販売店リメンバーハーバーの佐津と申します。社長さんいらっしゃいますか?」

    これが営業というものなのか。胸の奥で、鈍い違和感が動いた。

    第3章|考えるな言え。—Don’t think, talk.

    最初から「トークを覚えろ」だった。一字一句変えるな。そのため、1週間ロールプレイが繰り返された。

    断りがくると、テンポが狂ってセリフが飛ぶ。そして、何度も何度もやり直しを命じられた。

    営業って、お客さんと話をするんじゃないの?心の中で何度も呟いた。

    「(コンコン)、失礼します」

    「NTT販売店、リメンバーハーバーの川上と申します。来週から取りまとめて工事を行いますんで。社長さんでいらっしゃいますか?」

    返事を待たずに言葉を継ぐ。

    「今、何回線使ってますか?」

    さも専門家のように、画板に挟んだ用紙に現状の回線状況を図示していく。

    喋りながら、心の中で疑問がわく。これ、本当に正しいのか。

    「うちの会社が“NTT販売店”って言っていいのか」

    「“取りまとめて工事”って、ほとんど誤認じゃないのか」

    断られた後のトークも、呪文のように覚えた。

    「まず言え。相手の反応は気にするな」

    「黙るな。止まるな。続けろ」

    気づけば、口だけが先に動くようになっていた。

    「(コンコン)、失礼します」

    なんだこれ。

    こんなもん、バカにしか続けられないだろ。

    心の中は、もうずっと冷えていた。

    第4章|アポインター、クローザーへの道

    現場は東京全域で、日によってエリアが変わった。

    地図を片手に歩いて、順番に企業のインターホンを押す。

    120分のカセットテープを録音機器にセットし、RECをONにして歩き出す。

    予備のテープ2本はカバンの中だ。

    俺の声が延々と吹きこまれていく。

    「1日最低100件くらいかな。」

    入社初日、そう告げられた。

    よく分からないまま、手渡された地図と名刺。

    要するに、朝から晩までずっとビルに飛び込んでインターホンを押し続けろということだった。

    扱う商品は、NTTのビジネスホン。

    「電話代、安くなりますよ。」

    そう言うと、それでも一応は話を聞いてくれる人もいた。

    けれど、大半は戸惑った顔で「忙しいから」とだけ言って扉を閉めた。

    アポが取れれば、その場で契約……ではない。

    “クローザー”という別班がいて、彼らにバトンを渡すまでが俺の役割だった。

    営業というより、ただの手先だ。

    アポが取れなければ、人としてすら扱われない。

    その日の19時には、公衆電話から無坂に日時報告を行うことが習わしだった。

    アポが1件も取れなかった日は、

    「もしもし!川上です! 本日、アポゼロ件です! 申し訳ございません!!」

    と、50メートル先まで届くような声でがなり立てる。

    通行人が振り返る。

    その視線に、自分でも情けなくなる。

    恥ずかしいという感情より、声を出さないと無坂の逆鱗に触れて面倒なことになるのが嫌で、しょうがなく必死さを演じていた。

    事務所に戻れば録音を再生され、無坂に言われる。

    「なんだ、ボソボソしゃべりやがって。このキチガイ。」

    そして、真夜中までトーク練習。

    なんだこれ。こんなもん、バカにしか続けられないだろう。

    そう思いながらも、俺は今日も声を張り上げるしかなかった。

    第5章|包丁とタルト

    その日も順番に飛び込み営業をしていた。訪れたのは、小さな洋菓子店だった。

    ガラス越しに見える様子から、穏やかな店主だろうと思いながら、のんきに自動ドアを開けた。

    「失礼します! NTT販売店、リメンバーハーバーの……」

    「おまえら営業か!? いい加減にしろよ!!」

    殺気に満ちた店主が、言い終わるや否や、店の奥へ引っ込んだ。

    次に現れたとき、手には包丁を握りしめており、

    「ぶっ殺すぞ!」と叫びながら、自動ドアまで迫ってくる。

    上司と二人で素早く後ずさりし、店から離れた。

    心臓がバクバクした。そんなに悪いことをしただろうか、と思った。

    一方で、恐怖を通り越して、こんなことが現実に起こったことに可笑しさも込み上げる。

    息を整えると、上司は頬を引きつらせながらも笑っていた。

    「あるよ、こういうの。」

    この人は、こういう世界に“慣れている”側の人間だ。

    あのパンチパーマに髭を蓄え、青白く怒りに満ちた店主の形相は、今も目の奥に焼き付いたままだ。

    第6章|営業車キューブの試練

    ほどなくして、営業車として水色の日産キューブを支給された。

    当時は四角い見た目が新鮮だった。

    ペーパードライバーで運転は得意じゃなかったが、慣れるしかなかった。

    ある日、営業先を回っていると、突然明らかに足回りがおかしくなったと感じた。

    降りてみると、タイヤに釘が刺さっている。晴天の霹靂。

    そして、ああ、少し営業から外れる時間ができる。ラッキー……という思いがよぎる。

    どうすればいいか迷ったが、とりあえずJAFを呼んで対応してもらった。

    別の日、無坂が銀座に向かうという。

    高速に乗り、何故かスピードを出して、無坂に貢献したい気持ちに駆られていた。

    いつもよりずいぶんスピードが出ていたのだろう。案の定、覆面のサイレンが鳴る。

    警察に捕まってしまったことには、何も感情が生まれない。

    アポが取れずに日時報告することに比べれば、なんでもない事だ。

    警察の切符の手続きを終えると、無坂は「なんか早えと思ってたんだよ」とだけ言った。

    特に怒り出すこともなく、時が過ぎた。

    営業車というのは、ただの移動手段なんかじゃなかった。

    道に出ている限り、トラブルの鉄の塊だった。

    第7章|千葉リーヒルズ、午前3時迄の研修と孫子(まごこ)

    今日はアポゼロだった。

    営業を終え、新宿の事務所へ戻る。

    無坂から上司に電話があり、「今から千葉へ来い、とのことだ。」と告げられた。

    そのまま、無坂のポルシェの運転手を務めている豆井の運転で、千葉の山あいに向かった。

    まさに豪邸。社内では“千葉リーヒルズ”と呼ばれていた無坂の邸宅だ。

    公共の宿のように大きく、重厚な造りをしていた。

    22時からトーク練習が始まり、午前3時まで続いた。

    はじめは豆井とトーク練習をしていたが、むしゃくしゃしていた無坂に頭を小突かれ、そのまま別室へと消えた。

    代わりに、無坂の“お付き合いの相手”らしい孫子(まごこ、と呼ばれていた)がトーク練習の相手になった。

    六本木のホステスのような一際目を引く美しい女性だったが、もちろん私語はない。

    ただ延々と、3時までトーク練習が続く。

    終わると、その場でゴロンと横になり、朝6時に目を覚まし、7時には東京へ向かう。

    高速道路を走行中、前を走る車が突然車線を変えた。

    驚いて前方を確認すると、2mほどのひらひら舞う物が見えた。

    次の瞬間、それがキューブのフロントグリルにガン!と張り付き、地面をガシャーと擦りながら停車した。

    解体工事車両から落ちた、トタン板の瓦礫の類だった。

    車を側道に停めて、ただ呆然としていた。

    なぜ立て続けにこんなことが起こるのか。

    全ての歯車がかみ合ってしまい、インシデントを手繰り寄せてくる。

    第8章|蝶々の舞

    今日もアポゼロ件で、新宿に戻る。

    いきなり電話が鳴り、上司が受話器を取る。無坂からだ。

    「申し訳ございません。」

    「おい、踊らせろ。ちょうちょうを。」

    目線がこちらに向く。

    「裸になって、ちょうちょうを唄いながら踊れ。」

    ……は?

    頭が真っ白になった。

    けれど、体が勝手に動いた。羞恥心なんて、とっくに擦り切れていたのかもしれない。

    あるいは、もう何も考えたくなかっただけかもしれない。脱いだ。

    蝶々を唄いながら、手をひらひらさせて、部屋の真ん中で踊った。

    先輩たちは、笑いをかみ殺しているようだった。

    「踊ったか?」

    「はい、踊りました!」

    上司が答える。

    あの瞬間の“無”になった感覚は、今も残っている。

    ただの“無”だ。

    第9章|藤原氏と賃貸借契約書

    藤原という男がいた。

    元NTT社員で、丁寧なトークで一見まともに見えるが、実は借金まみれの男だった。

    ある日、藤原が言った。

    「頼む、10万だけ貸してくれ。絶対すぐ返すから。な、頼むよ」

    当時の俺にとって10万円は大きかった。

    でも少しだけ、頼られた気がして、つい貸してしまった。

    もちろん、法学部でかじった知識を元に賃貸借契約を書面で結ん

    1割の利息を記載することも忘れなかった。すごい利息だ。

    それから数週間。

    「どうするんですか?」と聞いても、

    藤原は「返す返す。来週、必ず返す。待ってくれ。」を数回繰り返した。

    ある時には、上司とともに酒を飲みに行った時、藤原もいたのだが、

    「藤原、キャバクラのあの子はどうなったんだ?」

    「それがさ、XXX。XXXX。」

    やはり、そういうことか。

    ついに痺れを切らして、無坂に相談した。

    すると、「だから、面接の時に言ったじゃねぇか。金銭の貸し借りは禁止と。」

    「藤原、ちゃんと返してやれ。」と言った。

    全然、心に留めていなかったが、こういうことなのか。金の貸し借りは禁止の意味は、と学んだ。

    契約書を無坂に見せると、あまりの可笑しさに吹き出して笑っていた。紙なんか、現実の前では無力。

    借金取りのプロが存在する理由が少し理解できた気がした。

    藤原は、彼の姉さんを頼った。藤原と共に車でアパートに向かった。

    何やら話し込んでいたが、姉さんが叫び出した。「いい加減にしなよ!」

    どうやら、これまでも散々迷惑をかけてきていたらしい。

    「だめだった。」それが現実だった。

    次の給料日には、耳を揃えて、利息もつけずに返ってきた。

    無坂が手をまわしてくれたのかもしれない。

    第10章|岡高とオメガ

    岡高は、まるで相撲取りのような体格の男だった。

    豪快な笑い声で、社内でも目立っていた。

    ある日、岡高が俺に近寄り、

    「おう、川上、これで10万貸してくれ!」

    彼は断られるとは思っていない様子で、自信満々にオメガの腕時計を目の前に差し出してきた。

    一瞬、言葉に詰まったが、いやいやいや、と苦笑いした。

    岡高は歯牙にもかけず、「そっか」と去っていった。

    何だったんだろう。オメガは何かを証明したがっているように見えた。

    営業の世界は、稼げるやつには夢が見える。

    稼げないやつには、プライドすら、あっけなく質草になる。

    岡高の背中が、それを教えてくれた。

    第11章|尖った革靴と作業服

    あの夜、なぜ呼ばれたのか。

    警察にスピード違反の切符を切られた後、NTT販売店の作業服のまま、無坂を銀座のクラブへ送迎した。

    高級感が漂う中にも、少しアットホームな店内。

    ゴージャスなシャンデリアやドレスを着た女性はいない。

    とても上品な女性たちが無坂をもてなす。

    「こいつ、がんばってんだよ」

    ホステスたちにそう紹介され、俺は引きつった笑顔を浮かべた。

    空気を壊さないように。

    営業成績よりも、空気を読む力を試される夜だった。

    帰り際、無坂が「川上、こういう店いいだろ。」

    酒も飲めないし、女性に求めているものが違った俺にはさっぱり良さが分からず、黙っていた。

    無坂の足元を見ると、信じられないほど尖った革靴。

    そして、ドルチェ&ガッバーナの一張羅。まるでピエロのようだった。

    ただ、それに作業服で付き従っていた自分こそ、何より滑稽だった。

    第12章|小さな呼吸

    無坂は暇さえあればジムに通い、筋肉隆々の空手家だった。

    俺が営業から戻ると、ときどきスパーリングに誘われた。

    革靴のまま軽く拳を交えるが、やはり「軽く」で済むことは少ない。

    ある日も、そんな“いつものノリ”だったはずだ。

    だが突然、ズシンと胸板に重いパンチが入った。

    しかし、そのままスパーリングを続けた。

    夜中、息苦しさが止まらなかった。

    自転車をこいで病院へ行くと、診断は肺気胸。左肺がしぼんでいた。

    手術は翌朝だったか、記憶があいまいだ。

    直径2センチほどの管を肋骨の隙間に通された。

    全身麻酔が甘く、遠くで骨をかき分けてパイプを押し込まれる感覚があり、大変な激痛を伴った。

    入院は3週間。

    何してんだ、俺。そう思った。

    でも戻らざるを得ない。

    社宅の規定では、半年在籍しないと退去だったから。

    理由はそれだけだ。

    ※見舞い:母、あのこ、あいつら。とあいつ。

    第13章|復帰、そして社宅の呪縛。

    退院して最初に考えたのは、社宅のことだった。

    辞めれば、家賃補助が一気に跳ね返ってくる。

    戻るしかなかった。

    ただ、この期間に考えることができた。

    今後の身の振り方を。

    会社に連絡を入れると、思いのほか歓迎された。

    復帰初日、上司が言った。

    「おまえ、よく戻ったな。まあ、これからは少し楽な仕事にしてやるよ」

    配属は既存顧客へのルート営業。

    新規飛び込みと比較にならないほど穏やかな仕事だった。

    けれど、何かは壊れたままだった。

    自分の中で、夢の一片でも残っていただろうか。

    結局、理由はただ一つ。

    社宅を失えば生活が成り立たなかった。

    第14章|高速バスからの風景

    あれから、20年。

    今日、茨城への出張で、高速バスに乗っている。

    窓の外には、田園と林がゆっくり流れていく。

    ふと、千葉の“研修所”を思い出した。

    夜、NTT販売店の作業着のまま連れていかれた無坂の家。

    声を張り上げ、午前3時まで続いたトーク練習。

    湿った床の感触。

    あの頃、毎日が戦場だった。

    でも、いまは違う。

    窓の外は、ただの田舎道だ。

    胸はもう痛まない。

    腹も立たない。

    残ったのは、懐かしさと、ほんの少しの誇りだけ。

    それだけで、もう十分だった。

    第15章|足跡

    あの会社を辞めたとき、思い出したくないとも、なんとも感じなかった。ただ、ようやく終わったと思った。

    より大きなことを抱えていたからかもしれない。

    抜け出す手は打った。幸運にも、次の会社で20年間勤めあげることができた。

    時間は不思議だ。

    ちょうちょうを唄った夜。

    銀座のクラブ。

    肺にパイプを突っ込まれた中野の病室。

    包丁を持ったケーキ屋の親父。

    10万円を持ち逃げしようとした藤原。

    今では全部、笑える。彩をありがとう。

    あの頃を思い出しても、もう心はざわつかない。

    むしろ、あの時間があったからこそ、大抵のことはたわいのない事に思える。

    たとえ誰かにとってはくだらない地獄でも、俺にとっては確かな足跡だった。

    エピローグ|めぐる季節と種

    あの人は、ずっと何かを抱えて立っていた。

    言葉にしないことの重さを知り、言葉にする強さも持っていた。

    幼いころから背負ってきたものがあって、それがゆえに逞しく眩しかった。

    自分には届かない領域があるのを、初めから分かっていたような気がする。

    ただ、一緒だった時間の中で、何度も思った。

    この人となら、何かが変わるんじゃないかと。

    すべてを差し出せば、きっと別の何かを手にできる気がしていた。

    あの頃の自分にとっては、それが唯一の希望のかたちだった。

    そして、時間が経つうちに、いろんなものが少しずつ変わっていった。

    静かに手放したものも、きっと少なくなかった。

    だが、受け取れたもののほうが圧倒的に多かったのでは、ないだろうか。

    今になって思う。

    あのときの自分は、何かを手に入れたかったのかもしれないけれど、

    同じくらい、何かを赦されたいとも願っていたのかもしれない。

    笑い声も、悲しみも、人の強さも。

    あの時間に押しつぶされて、しばらくは何も見たくないと思った。

    でも、振り返ってみれば、それも含めて自分を育てる種だった気がする。

    今はもう、あの頃より少しだけ強くなれたと思う。

  • 国立大学附属小学校 受験大作戦②

    国立大学附属小学校 受験大作戦②


    初めての挑戦。うまくできなかったけれど、最後まで逃げずにやり遂げた娘。
    その背中に、かつての自分の姿が重なった。
    悔しさのあとに見せた、小さな「楽しかった」の頷きが、心に残った一日。


    2025年6月22日。
    今日は娘とともに、初めての小学校受験に向けた講習会へ参加した。
    向かったのは、横浜・元町にある理英会。
    受験を見据えて足を運ぶのは、これが初めてだった。


    ■ 朝の出発と移動

    8時半、上大岡の自宅を出発し、駅前のドトールで軽く朝食。
    京急線に乗り、横浜駅で根岸線に乗り換えて石川町駅へ。
    そこから歩いて、理英会元町校へ。到着は10時40分頃だった。

    中に入る前、後ろから別の子が来たので、
    「お、お友達が来たよ」と声をかけると、
    娘は「おともだちじゃないよ」と少し強めに返してきた。
    慣れない場所、慣れない人たち。緊張の色が濃く出ていた。

    教室に入ると、娘はぴたりとくっついて離れず、先生に引かれるようにして着席した。


    ■ 講習会の内容

    子どもたちは、ペーパー・集団行動・面接の三つの課題に取り組んだ。
    親は別室で説明を受け、集団行動や面接の時間にはその様子を観察した。

    娘にとっては、まさに「初めて尽くし」の時間。
    緊張のせいか、ペーパーではほとんど取り組めなかったらしく、
    先生からは「気が乗らず、まったく手をつけませんでした」とのこと。

    次に始まった集団行動。
    子どもたちは背中に青・黄・緑のシールを貼り、お互いのシールを確認し合いながら、
    色ごとのチームで並んで動くゲームがスタートした。

    「あおのシールだよ」と教えてくれる子に対し、
    娘は「(なに、この人…)」という表情で引き気味だった。
    「ありがとう」も言えず、驚きと戸惑いが顔に出ていた。

    その後、色の積み木を拾って輪の中に置き、スキップで戻ってタッチするゲームへ。
    順番が回ってきても前に進めず、先生が手を取りながら前進。
    積み木を拾い、輪の中に置き、戻ってきて、そっとタッチ。

    ——精いっぱいだったと思う。緊張しきっていた。

    面接では、質問にほとんど答えられなかった。
    「お名前は?」……無言。
    「好きな遊びは?」……無言。
    「どこから来ましたか?」……無言。
    「誰と来ましたか?」……ようやく小さくコクンと頷いた。

    1分ほどの講評では、
    「今日はなかなか、できませんでしたね」
    と柔らかく伝えられた。予想はしていた。

    でも、それでも——最後まで逃げなかった。


    ■ 講習直後の余韻

    終了後、外に出ると娘が言った。

    「おかあさんは?」
    「横浜だよ。駅まで歩いて向かおうか?」
    「抱っこ!」
    「がんばって駅まで歩いて、それから抱っこしよう」
    「うん」

    途中、しゃがんで「ほら、あれが石川町駅の看板だよ。見える?」と尋ねると、
    「見えない」と答えたあとに、「くやしかった?」と聞くと——

    ……じんわり、涙がにじんだ。

    誰かに怒られたわけじゃない。
    でも「自分の中でできなかった」と悔しさを感じたのだと思う。

    その涙は、きっと娘にとっての最初の“本気の印”。
    うまくやりたかった。頑張りたかった。
    ——それがかなわなかったことを、ちゃんと分かっていた。


    ■ 昼食と注文

    その後、横浜駅の丸井8Fへ移動し、ポケモン展を目指したが整理券が必要で断念。
    ランチを取ろうと妻と合流し、8Fをさまよってようやく和食屋へ。
    20分ほど並んでようやく入店。

    「注文、してみる?」と聞くと、
    「うん!」と力強くうなずいた。

    「茶碗蒸しと刺身と、定食2つね。覚えた?」
    「うん、茶碗蒸し!刺身!」
    「すみませーん!」
    娘「茶碗蒸し!刺身!……!」

    しっかり伝えられた。忘れたところは聞きながら。
    いつもは恥ずかしくて黙ってしまう娘が、今日は初めて自分で注文をやりきった

    ——朝の涙とは違う、「小さな成長」が、ここにあった。


    ■ 帰路と心の芽

    帰り道、妻が娘に聞いた。

    「楽しかった?」

    私は、無反応かと思った。
    でも、娘は小さく——「こくん」と頷いた。

    あれで「楽しかった」と思えるのか。
    正直、驚いた。

    うまくいかなかった。悔しかった。涙も出た。
    でも、娘の中では「がんばった」「知らない世界を知った」「一歩進んだ」。
    そんな体験が混ざり合って、「楽しかった」の一言になったのかもしれない。


    ■ 最後に

    思えば、年少の運動会では、スタートラインで泣いてしまい、ゴールできなかった娘が、
    年中のマラソン大会では、男子を押さえてクラスで1位を取った。

    不器用だけど、負けず嫌いで、地道に力をつけていくタイプだ。

    今回の涙も、注文も、あの「こくん」も、
    きっと、その延長線上にある成長の軌跡のひとつ。

    帰り道、京急百貨店でお土産を買って、妻は静岡へと戻った。

    娘の中で、ほんの少し何かが変わった一日だったと思う。
    お疲れさま。
    よくがんばったね。

  • 新聞奨学生① 朝は戦い|吉祥寺、二十歳

    新聞奨学生① 朝は戦い|吉祥寺、二十歳

    【1章:配達は戦い】

    成蹊大学に通いながら、吉祥寺の新聞販売店で新聞奨学生として過ごした日々。
    原付、雪、酔っ払い、怒号──誰よりも早く街を走っていたあの冬を、今振り返る。午前3時。まだ誰も動かない街を、原付で走っていた。

    原付のセルを押すと、冷えきったエンジンが震えながら目を覚ます。午前3時。ほかの学生が眠りの中にいる時間、俺たちはもう一日の始まりだ。

    初めて原付に乗った日、胸が高鳴った。

    学科、実技を経て免許を取得し、何にも自信なかった自分が、何者かになれた気がした。風を切って走るだけで、自分の中に熱いものが灯った。それだけでも、吉祥寺に来た意味があったと思えた。

    雨の中、カッパを着て配達。夏でも汗と蒸気で体がぐっしょりとなる。寒い日は、顔がこわばる。そのたびに思い出すのは、高校時代のラグビー部だ。土砂降りのグラウンドで泥だらけでボールを追いかけていた日々。雷のなる中走り回ったあの時よりマシだなと、思い走ってた。そして、中間地点で赤いマルボロを吸い、缶コーヒー(ジョージアエメラルドブレンド)を飲み休憩だ。

    酔っ払いが道端で倒れていた朝もあった。正義感から咄嗟に販売店まで戻り、五日市街道を挟んで向かいの消防署に駆け込み、「人が倒れてます!」と伝えた。そして緊急招集がかかり、手すりで下ってきた職員が、「はぁ。」と眠そうで不愛想な対応にカチンと来て、「何その態度?」と詰め寄ったら、消防署の職員が胸ぐらを掴んできた。上役の方がとりなしてくれた。その後、救急車を原付で船頭して、現場へ案内した。こんなことあるのか。と気分は高揚していたと思う。

    また、大雪が降ったあの朝、販売所は妙にふわふわとした雰囲気。これ配るんのかよって皆が思いながら、ただ中止にはならないらしい。興奮もあったように思う。原付で走れんの?と思いながら配達が始まった。やはり走らん。進まねぇ。新聞がカゴに詰まった原付を脇で手押ししながら、進んでいく。途方もなく、果てしない道のりに思えた。ただ、面白さもあった。なんじゃこれ。配達の終盤、配達先に着いた頃には、もう10時を回っていた。最後の方の家の方が門の前で、「遅いよ!何やってんだよ!」と怒号。謝りながら思った。「これ、普通の大学生はやってないぜ」って。だが、これが世間、これが仕事かと痛感した。

    別の日、不着があったため、自転車で配達していたところ、交差道路から一旦停止せずに歩道に入ってきた車に接触し、自転車のタイヤが変形したこともあった。ブチ切れそうになりながら起き上がり、先方の車で配達先まで送迎してもらい、自転車の修理代も支払ってもらった。

    新聞奨学生の朝は、戦いだった。

    でもその戦いは、確かに俺を鍛えてくれていた。

  • 通勤リュック選び(ミニマリスト)

    2015年、南アフリカへの出張が決まり、ビジネスバッグを新調することにした。
    その前の10年間、自分がどんなバッグを使っていたのかは思い出せない。

    大学生時代は、予備校で知り合った友人が持っていたPORTER LUGGAGE LABELに憧れ、青い合成皮革の3ウェイバッグを使っていた記憶がある。
    それ以降は、あまり鞄にお金をかけてこなかったが、この海外出張をきっかけに、軽量で使い勝手の良い3ウェイバッグを探し始めた。ネットで調べて選んだのは、MANHATTAN PASSAGE(マンハッタンパッセージ)の3ウェイリュック。当時から、「物は少なく、必要十分であること」が自分の選びの基準だった。

    収納力よりも、軽さと無駄のなさ。いわば“ミニマリスト志向”の実用品を求めていた。その視点でネットでの比較でも、見た目の派手さではなく「どれだけシンプルで、機能的にまとまっているか」を重視していたように思う。


    シンプルで超軽量なつくり。使い勝手もよく、当時の会社では手持ちスタイルで使用していた。ここ横浜に来てからはリュックとして使っているが、気づけばもう10年選手だ。そして、最近驚いたのだが、このメーカーなんとメイドインジャパン。道理で丈夫なわけだ。リュックのショルダーベルトはほとんど使用してこなかったため、現在も傷みは少ない。
    ただ、手持ちで使うとき、背面のショルダーベルトが地面につきそうになるのが気になる。フラップの革部分も少し劣化しており、見た目がやや古びてきた。デザインも、決してダサくはないが、少し古くなってきたように感じている。

    京急百貨店 上大岡店、その上のヨドバシカメラ マルチメディア京急上大岡、さらには伊勢丹新宿店まで探してみたが、「これだ」と思えるデザインには出会えなかった。
    通勤中のサラリーマンたちのリュックにも目を向けてみたが、なかなかしっくりくるものはなかった。

    そうこうしているうちに、ジム通いのため、スイミング用具も入れられる、容量多めでカジュアル寄りのリュックが欲しくなってきた。

    そしてついに見つけたのが、MARK IS みなとみらいにある吉田カバン直営店で出会った、「PORTER TANKER(ポーター・タンカー)」シリーズのアイアンブルー(紺鉄色)モデル。
    ジッパーは金色。上品で美しく、丈夫で、容量も申し分ない。

    三菱地所グループCARDのキャンペーンを狙って購入に踏み切ったが、手続きは想像以上に煩雑で、やや苦戦。
    結局、思っていたほどポイントは獲得できなかった。
    しかし、リュックそのものには大満足している。価格は税込115,500円。決して安くはなかったが、後悔はない。

    ただ、「通勤専用」としてはまだしっくりくるリュックには出会えていない。大原の帰りに高島屋 横浜店のバッグ売り場を覗いても、心に響く品物は見つからなかった。

    ある日、いつもは通らない横浜ランドマークタワーの2階フロアを経由して帰ったとき、ふと、品の良いリュックが目に入った。
    気になっていたその店舗に、平日の病院帰り、改めて足を向けてみた。

    そこにあったのが、Samsonite(サムソナイト)
    超軽量で通気性も良さそう。デザインも洗練されている。
    価格も確かに張るが、「これが欲しい」と心から思えるリュックに、ようやく出会うことができた。ちなみに横浜高島屋にはもともとあったようだ。ボーナスが入ってからの購入か。

    <この記事のポイント>

    ・ミニマリスト志向には、Samsoniteの軽量リュックが最適

    ・PORTER TANKERの紺鉄色は、実用性と所有欲を満たす美しさがある

    ・MANHATTAN PASSAGEは、軽さと無難さで10年使える道具の代表格

  • 国立大学附属小学校 受験大作戦①

    【序】

    転職で横浜に来て、生活も少しずつ落ち着いてきた。新しい職場にも慣れ、次に考えるのはやはり家族のことだった。

    来年4月には、子どもたちが横浜にやってくる予定だ。

    どんな環境で迎えればよいのか。

    まだ家族との住まいすら決まっていない。

    通勤路線の見通しは立ったが、その先の住環境は利便性重視で探していた。

    ところが、ふとしたきっかけで、子どもの将来について思いを巡らせた。

    大学受験の頃を想像したのだと思う。

    そこから逆算するようにして考えが始まった。

    「小学校はどうだろう?」

    私立は費用が高く、現実的には難しい。しかし、国立大学附属小学校なら、自由でのびのびとした教育環境が整っており、何より自宅から通える範囲にその選択肢がある。

    調べてみると、横浜国立大学教育学部附属横浜小学校と附属鎌倉小学校があるではないか。

    思い返せば、静岡在住時にも中学校からの国立(静岡大学附属島田中学校)受験を常に意識していた。その流れが、今回「小学校」にまで自然に延びただけの話なのだ。

    【情報収集と塾通いの開始】

    まずはインターネットで情報を集め、妻と相談を重ねた。すると、少しずつその受験が現実味を帯びてきた。

    地元の進学塾「希動学園」にも体験入塾を経て、週1回のコースで通い始めた。娘にとっては楽しい経験だったようだ。新鮮味が落ち着くと、それもやがて「日常」になっていったようだったが、続けて通っている。

    【想定外のハードル】

    情報をさらに読み込んでいくうちに、ひとつ大きな壁が判明した。

    横浜国立大学附属横浜小学校では、出願時(9月)に学区内での住民票と居住実態が必要とのことだったのだ。

    この条件は、今の我々にとっては非常に厳しい。念のため学校にも確認したが、やはりその通りだった。

    妻に「9月までに引っ越せるか」と打診したが、彼女は「今年はPTAの役員を引き受けたから…」と。

    そうだった、私たちの感謝の気持ちで、こちらから申し出て引き受けた役職だった。それなら、無理をさせるわけにもいかない。9月までの転居は現実的ではなかった。

    【理英会フェアでの出会い】

    半ばあきらめかけた中、理英会の受験フェアに一人で参加した。

    横浜小の説明が終わったあと、多くの保護者が帰っていく中で、私はなぜかそのまま席に残り、なんとなく鎌倉小の説明も聞いてみようと思った。

    すると、そこで思わぬ朗報が――

    鎌倉小では「3月までの引っ越しであれば問題ない」という。

    これは我が家にとって、希望の光だった。

    すぐに鎌倉から桜木町やみなとみらいへの通勤時間を調べると、思っていた以上に近い。十分に通勤圏内だ。

    【新たな展望】

    ならば、鎌倉に住み、娘が徒歩で通える生活を目指すのも良いのではないか。

    横浜小は条件を満たせないかもしれないが、願書だけは提出してチャレンジする価値はある。

    国立小学校受験に関する書籍も複数購入し、受験準備を本格化させていくことにした。

    娘の成長を願って、今できることをひとつずつ――。

    <この記事のポイント>

    ・横浜国大附属小学校は「9月出願時の住民票移動」が出願条件

    ・鎌倉校は「3月までの転居」でOKだった(理英会フェアで確認)

    ・横浜勤務、静岡家族という前提で、鎌倉への転居を検討中

    ・願書は横浜校にも提出予定(条件不利でも挑戦)

    ・対策は希動学園+書籍購入+理英会単科講習会で進行中